独立行政法人国立病院機構 四国こどもとおとなの医療センター

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おひさまつうしん

コラム 臨床研修医が行く!

vol.02 弟と私

 はじめまして。私は地元である大阪の病院で2年間の初期研修を終え、5月から香川に参りました。この場を借りて自己紹介させて頂きます。

 大阪南部のド田舎で3人兄弟の真ん中として生まれ、わりと放置されて育ちました。そのためか自由に育ち、『興味の無いことはしない』という性格に。健診のときも追視をせず、引き起こされても踏ん張らず、この子は発達が遅れているかもしれない…と言われて、何度か病院に通ったとか。将来的に知能がどうのこうのという説明を受けた際、母は、「ま、しゃあないな。」と思ったそうです(やはり放置)。そんな疑いをかけられたものの、ただ単に興味が無かっただけのようで、その後は順調に成長。田舎町で虫捕りをしながら、兄とケンカに明け暮れる毎日でした。

 小学校1年になった頃、弟が誕生。病院で初めて見た小さい弟が、私の指をぎゅっと握ってくれた時は、「うおお。こんな小っこいのに、すごい力だ!!」と、めちゃくちゃ感動した覚えがあります(指を握るのは、ただの反射だと知ったときはショックでした)。年の近い兄とは喧嘩ばかりしていたので、弟は大事に世話をしよう!と心に決めました。それからは、弟の成長が楽しみで仕方なく、眠っている部屋の前で寝息を聞くと、「良かった、ちゃんと息をしているぞ」と安心して自分も眠ったものです。少し成長して言葉を話すようになると、私の言ったことを何でもかんでも真似して言うので、「なんだコノヤロウ。真似ばっかりしよって腹立つわー!」などと憎らしく思いました(真似をするのが普通とは知らず…)。

 ところがある時、弟は私の思いつかないような事を話したのです。自分で考えて、自分の言葉で。うおお!すげぇ!と思いました。この子の頭の中には、私とは全然違うものがいっぱい詰まっているのです。弟が初めてつたい歩きをした時よりも、初めて一人で苺を食べられた時よりも、涙が出そうなほど感動しました。

 弟が私の人生に与えた影響というのは、とても大きいように思います。弟自身からだけでなく、母のことも。母は非常に厳しい人でした。私がアトピー性皮膚炎を発症しても、“甘やかしてはいけない!”と何でも食べさせ、“痒くても我慢しろ!”と言い放ちました。外で遊んで腕を強打し、「お母さん、腕が痛い」と訴えると、“そりゃ、打ったら痛いやろ。”と切り捨てられました(確かにそうだ、と一時納得した素直な私でしたが、実は脱臼していました)。また、自由に悪事を働いてくる私は、よくシバかれました(自業自得)。兄がベランダめがけて投げられているのを見たこともあります。そんな超怖い母が、弟に子守唄を歌って寝かしつけている時にこう言ったのです。『あんたも、こうやって育てたんやで。』なんてこった、と思いました。それって、凄いことです。私が弟を大事に思っているように(おそらくそれ以上に)愛情を持って自分を育ててくれていたとは。

 病院に子供を連れてくるお母さん方も、様々な思いを持って来られていることでしょう。その気持ちに応えられるよう、少しでもお手伝いができれば幸いです。

<2009.1>

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