独立行政法人国立病院機構 四国こどもとおとなの医療センター

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おひさまつうしん

コラム 臨床研修医が行く!

vol.21 30歳になり取りあえず人生を振り返ってみた

 初めまして。こちらで勤務し始めて今年で4年目になりました。原稿依頼を受け、何を書こうかずっと考えていたのですが、中々まとまらず随分時間が経ってしまいました。最近節目の年を迎えて、ぼんやり自分の人生について振り返ることがあったので、幼少時からの歩みを思い出しながら、今仕事をしていて感じていることを文章にしようと思います。

 私は福岡県で生まれ、その後東京、愛知、兵庫を転々と移り過ごして来ました。幼少時の私は、後先考えず本当にひどい悪戯をして母によく叱られていました。ぐるぐる考えるよりも先に、直感で行動に出る子どもだったのだろうと思います。好きなものを見つけたらとことんそれに打ち込むタイプで、魚や虫、草花の図鑑を見て覚えることも大好きでした。一方、苦手なことでは集中力を維持できなかったのか、工作の時間先生の話を全然聞けず、混乱して泣いていた記憶もあります。そんな私を、両親も幼稚園の先生もよく見守ってくれていたな、と思います。

 小学校では徐々に苦手なことが減っていって、勉強や外で遊ぶことも好きでした。5年生になって兵庫県に来た際に、たまたま住んでいた地域では中学受験をする子どもが多かったため、何となく受験をしたい、と思うようになりました。初めは目的もはっきりしないまま学習塾に通っていましたが、当時医学部に在籍されていた先生にドナーカードを見せてもらったのをきっかけに医学に興味を持ち、医師を志すようになりました。

 しかしながら、中学に入り部活に明け暮れていると、いつの間にかそんな夢は忘れていました。バスケットボールを続けていましたが、ある時激しい腰痛に悩まされるようになり、全力で練習を行えない日が増えていきました。整形外科に通いながらどうにか現役を続けていましたが、試合にも徐々に出られなくなっていくのは辛いものでした。そんな時に、通っていた整形外科の医師はいつもにこやかに私にアドバイスをし、励ましてくれていたのです。高校での引退時までどうにか部活をやめずにいられたのは、その医師の存在が大きかったと思います。やっと昔の夢を思い出し勉強を始めましたが、時すでに遅し…高校での成績がさっぱりだった私は、両親兄弟の助けを借りて必死に浪人した後、徳島大学に入学しました。

 入学後、1年次にあった授業で、コミュニケーションについて学ぶものがありました。それは、半年間ずっと同じ園児とペアを組み、さまざまな遊びを通じて毎週交流するというもので、全国でもまだあまり知られていない珍しい授業でした。その時ペアになった男の子の純粋さ、可愛らしさにいつも元気をもらっていましたし、子どもと関わる楽しさを教えてくれた原点だったと今でも思っています。よって、最高学年となり志望科をある程度絞る際には、迷わず小児科を選びました。

 この病院を選んで初期研修を開始し、早期から小児科のトレーニングを積めることがいいなあといつも思っていました。初めは点滴を外してばかりで、子どもに辛い思いをさせる度に自己嫌悪に陥っていましたが、徐々に出来ることが増えていくのは楽しいものでした。また、風邪ひきさんから、PICUでの管理が必要になる子まで、何でも診る!!というスタンスの病院なんて中々ないですし、この病院の誇れる点だと思います。3年目以降は徐々に独り立ちをするようになり、新生児や乳児の健診、救急外来や当直をこなしていました。困ったときに他科の先生方やコメディカルのみなさんに助けていただくことが多々あり、いつも感謝しています。入院担当医にもなりますが、昨年振り返ると年間400例近く経験しました。冬季の忙しさには弱音を吐きそうにもなります。でも、辛そうに入院していた子達が、ニコニコしながら「バイバイ、ありがとう」と帰り際に手を振ってくれたり、小さな手で手紙を一生懸命書いてくれることが何度もあり、その瞬間が嬉しくてたまらんのです。小児科の醍醐味です。医師としてまだまだ未熟であり、苦しい鍛錬を続ける必要がありますが、この道を選んだことに後悔はありません。未来ある子どもたちの人生に関わり、お手伝いが出来ることを幸せに思います。

 病院関係者の皆様、そして地域の皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

<2016.08>

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